昭和42年01月17日 夜の御理解
今日、山口の長田先生が見えられましてから、丁度、私、親教会の月次祭を頂いて帰りましたら、待っておいででございました。先日の久保山先生の、ここの教会葬の時に、あちらの先生も御会葬頂いておりました。それで、私はご挨拶しようと思うとりましたけれども、もう降りた時には居られませんでした。今日、奥様の方が出て見えられましてから、もう帰りまして、うちの先生が感激致しましてですね。
もう本当に、金光教の教会葬と云うのは、もう、ずいぶん拝ませて頂いたんだけれども、もう椛目での、あの教会葬を見てから、本当に御霊様の助かりもさる事ながら、もう本当に有り難かったて云うてから、偉い感激してお話になったそうです。それでもう、一日も早う、お悔やみ方々お礼に出さして頂きたいと思いよりましたけれども、今日、親教会の飯塚の方の教会のお月次祭。
初お月次祭ですか、あのおかげ頂きましたから、こちらへ足伸ばして頂いたと云うて出て来られたんですけれども。本当にあのお葬式とは寂しいものに決まってるんですけれども。その寂しい中にも、悲しい中にも有り難い、お徳の中に行われるという。それが、どのくらい人の心の中に、有り難いものとして残って行くかという事。もう折角死ぬるなら、本当にやはり、徳を積んでおかにゃいけんなという事を、もう愈々考えさせられる訳でございますが。
今日見えられましてから、夕べから神様にお願いさして頂いて、椛目の方へおかげ頂きます事をお願いさして頂きよりましたら、その今朝方お夢を頂きました、と云われる。その夢が、まあ私の方の信者、あちらさんの信者さんでしようが。その梅ですね、梅の実がもう一杯なってるけれども、それがもう熟しておると言うんですね。それでもうこれじゃもう梅干にもならんがと云っておる様なところで、目が覚めたんですが。
梅干とは、信心辛抱と仰有るのですから、久保山先生のまあ、御会葬の事を聞いて、教祖の事を聞いてそして、明日その悔み方々お礼に出らせて頂こうと、こう思いよったら、そのそんな梅のお知らせを頂きましたから。久保山先生何時も、梅のお知らせ頂いとったから、その事にちなんだ事じゃなかろうかと云うてその、今日話されるんですね。まあそれにちなんだ事かも知れませんけれども、それは大体こうですねと云うて、まあお話した事でございます。
お互い信心をさして頂いてから、そのお天気の日ばかりじゃございませんよね。お天気の日も有ってまたお湿りも有って、雨も風も有って、そして、一切の生きとし生けるものの生育というかね。発育というか、お育て頂くのでございます。そこんところの調和が崩れるところに、さあ、雨が降らなかったら、もう干ばつ。さあ、今度は雨が多過ぎたら、折角の物が、根腐れすると云った様なです。
そこんとこの調和を保っていくところのお繰り合わせというものを、頂かなければ、本当のおかげにならんのでございます。そこで、そこんところの有り難い調和と云うのは、どう云う様な事かと。お互いに信心辛抱して、本当に50年も、60年も続けて信心しておる人が有ります。けれども、ほんなら、本当の意味での、実りにもならなければ、本当の意味で、おかげにならんという人は沢山ございます。
どう云う様な事だろうかと、まあ思うんですね。そこで私は、長田先生に、お話した事なんですけどもね。世の中はね、一切、天と地、云うなら陰と陽と云うものが、一つになって交流する時に、良いものが生まれて来るのですよと。男と女が一緒に合体して、そして、よい子が生まれて来る様に。この合体の姿と云うものがです、私どもの、日常生活の上にも有るのですから。
そこを交流させるものがなからなければならん。そこを私どもは、信心でおかげを頂くのだと云う事を話したんですけどね。こりや椛目全体の上にもそれが、今感じられます。丁度4日の久保山先生のお国替えして、その翌日が、丁度伊万里の池田さんところのご主人のお国替え、そしてこの久富さんとこは、何日でしたかね、15日でしたかね。15日にあちらのお父さんのお国替え。
云うならば、10日間のあまりの間に、椛目では3つの云わば悲しい事が起こった訳なんでございます。云うならばま、明暗に言うならば、暗の暗い方の所なんです。そう云う中に有って、椛目でおかげを頂いておる、そのおかげの現れと云った様なものを感じるのです。これはもう、私、どのお国替えを申しましても、もう本当に神ながらの事だとこう思わして貰うと同時に、そう云う働きを感ずる。
今日もう昼も、繁雄さん、お礼に出て見えてから、2人で話したことなんですけれども。もう、その万事万端のご都合、お繰り合わせ、椛目ではもう本当に、毎日毎日何か行事がないことがないんだけれど。さあ、あんたがたん、宅祭りならば1日延ばしてくれんのち云う事もいらなければ、もうそのへんの、いかに、神ながらなことであるかと云うことを思うんです。
ちょうど、15日の堤さんのところの、宅祭に行こうとしよるところへ、伊万里の池田さん達、親子3人でお礼に出て参りました。そしてから、話を聞かして頂きますと、ここに1回も、参った事はないですけれども。伊万里に持って帰る、その御理解の、はぁここは、書き残して、おかなければならんと云うのは、その竹内先生から、ここを一つ書き写つして下さい。
そして貴方もその御理解を頂く事になられるし、お徳を受けられる事になるからて云うて非常にこの。やはり、久保山先生の様に、この、字の名人の方でございましてね、綺麗な字を書かれるんです。ですからもうその、あちらでの御理解を収録しておられた方なんです、1回も参った事がない。それで、その休み就かれましてから、ここに電話をかけて来られる。もう愈々重体と云う事になった時にはですね。
ずっとその娘さんと、奥さんを枕元に呼びましてから、もう私が亡くなってもね、あのあんた達は、日本一の親先生を頂いておるのだから。本当にあの、私も安心して行けるて。もう本当にあの、よろしく、後の事は頼むよと云うてですね。もう天地書付を奉唱しながらだったそうです。そして、電話をかけた途端に、この意識が不明になられて、そのままお国替えであったと、こう。
もうそれこそ、もうそう云う悲しい中にあって、神ながらのお国替えのおかげを頂いたと云う事を、親子3人の者で、もう、本当に、芯からお礼のお届けがございました。そして、これは本人の意志でもございましたからと云うて、あの御造営費なんかのお供えも持って見えられたんですけれどもね。本当にあのお話を聞けば聞く程にですね、そういう例えば悲しい事が、神ながらの中ではあるけれども、次々と有っておると。
例えば、今日、久富さんあたりのお話を頂いても、やはりそうです。ああして寝ながら、いつの間に覚えたか知らんけれども、天津祝詞だけは、じっちゃま、覚えちゃったちいう事ですね。朝、こう顔を綺麗に洗ってから、あのヒサ子さんが顔を洗ってやりなさるそうです。それでもう何時も、ほんな身綺麗にしておられたそうですが。必ず、こうやって合掌してから、その御祈念をされるそうですね。
そしてから、もう先生、もう本当に生きておる間迎えの日に、亡くなった後、誰でもその事がですね、親の思いと云うものが、もう自分の明日をも判らんと云う様な状態に有りながらですね、あの天津祝詞を唱えてですね、生神金光大神様天地金乃親神様てお唱えしてですね。どうぞ、50何々歳の男の氏子でございます。どうぞおかげ頂きます様にというてから、繁雄さんの事を願ってられたそうです。
もう自分はもう、明日をも知れんという中にあってもですたい、もうなんと助かられたその御霊様じゃろうか。ここにお参りされた事は、まあ数で云うたら、何10回位だったろうと思います。繁雄さんを通してから、お参りされる様になった。初めの間は、もう疑い深うて、疑い深うて、もう金光様てなんてん、その見向きもしなかったお父さんがです。休み就かれたほんの何日前かまで、椛目に参って見えられました。そしてその金光様天地の親神様のその有難さが段々判らして頂いて。
しかも自分はもう明日をも判らんと云うそこに有りながらです。やはり息子のやっぱり長男のその繁雄さんの歳を云うてですね。そしてその御祈念をされておった事を思い出さしてもう一日の事だったけれども、その時は当たり前の事ごと思うとったですね。亡くなられてみて親の祈り親の願いというものが、本当に有難いという事を今日話ておられましたんですけれど。
久保山先生のお国替えにおいても、皆様が、ご承知の通りのもう本当に神ながらの事ではあるけれども、悲しい事。その悲しい事の上に、こちらの方の何と神様の生き生きした働きのあっておる事かと云う様なものを、椛目の場合感じん訳にはいかんのです。昨日、秋永先生が京都から帰って参りましてから、久富さんところのお葬式におかげを頂いて、帰り遅うここへ寄りました。
そしてから、京都での事のお届けさして頂きますのに、本当に一切合財がもう神ながらの事であるのに驚きました。先ず第一にあの彫金師の家に参りました。あの神様のお扉の金具などを御神門など大きな物を作る細工師なんですね。ところが、丁度あちらへ参りましたら、その型が出来上がって来ておるところで、もう非常に喜ばれた。もう今度という今度は委員長もう本当にこの様に。
一生懸命に親子の者が命がけの様にしてから、それこそ、斎戒沐浴して、さして頂いておるご用は有りません、これはもう、図らずもですね、烏丸教会の、京都の親子三代にわたって、総代をしておられるというようなお家だったそうです。それも、不思議な不思議な縁で、実はそこに御縁を頂いたんです、今度は。そして、もっと有り難い事はですね、あの御演場になりました。
ご本部の桂先生が、命がけでお建てになった時の御社のご門、お扉に使った金具の型が残っておったという事です。こちらから行ったのが、一寸それよりもこまかった。所が、実際こちらから持って行っとる木を、あの木の型を持って行っとるのですけれども、所がそれにバッチリ合ったと云うですね。ですから、その型を持って今度は調整さして頂いておりますと聞いてからです。
もう本当にその成る程、桂先生のお働きというものが、しかも、あのそれこそ、もう、名建築、国宝になるだろうかと云われとった建築でしたですからね。あの時の御造営は。国宝級だと云われるくらいな見事な建築だったです。そのお扉に使った金具が、そのまま型が残っておるという。それを椛目に、ですからもう、その彫金師もですね、これはただ事じゃない、永年信心しておられるもんですから。
丁度行った時にも朝参りから帰られたばっかりんとこだったそうです。そしてもう本当にそりや恐れ入ってしまいます。昨日だったらですね、こりやまだ型が出来ていなかった。今日は出来上がっとる所に、あなたにこの報告が出来ると云う事は、本当に神様のご都合だと云うて感激されたそうです。本当にあの桂先生のもう一念と云った様なものがね。例えば椛目に現れとる様なものを感じん訳にゃ参りませんでしょうがね。
それから、あの装束屋に、装束をお願い、若先生が装束が出けますもん、その装束の事であの参りましたところが、丁度息子さんが居られまして、いろいろその椛目の話を聞かれるから、いろいろ話したところが、ぜひその原稿を送ってくれち云うて、何ですかて、ところが、ここにあのご本部のこういう金光青年という、もう今日、お道の雑誌ではこれが一番充実した雑誌なんです、毎月出ておる。
金光青年の編集長をやっておられるのです。今日、私が聞いてから見ましたところが、成る程、司会をしておられます、いろいろな座談会の、高橋と云う方なんです。その息子さんがもう兎に角、この材料が無くて、困って居ると毎月。それで出来たら、そりゃその原稿を送るとか何とかって云う様な事は、と云うて、あのうちの御理解集の事を話されましたところがですね。
それなら、テープでも良いから、あのこちらの方で、適当にその中から、抜粋さして頂いてから載せさせて貰うから、どうぞ、一つ送って頂けんでしょうか、または、記事を頂きにそちらに都合じゃ、また参りますから宜しくお願いしますと云うてその大変喜ばれた。それがもう16年間の御理解がうちにゃ書き留められてございますからね。もうそりゃ、もう貴方方がいくら書きなはったっちゃ、材料は尽きません。
同時にまこれからもあぁた朝晩頂きよっとですけんで、いつまでも尽きませんよ、ち話した。もう大変喜ばれたて云う事です。先程、末永さんが、昨日から、福岡へ用事で参っとりました。そしたら、以前仕事をしておりました、あの同輩の中に、池部と云う人があるんです。その事をこの頃からお届けするから、池部って云う、誰ねって私が云ったら、あの元、星野教会のあの息子さんだそうですよち云う。
あら、ほんなら池部先生とこの息子さんじゃろうか、そこの2番目の息子さんらしいです。一緒に仕事をしておった。そればっかりじゃなかったけれども、昨日、そちらに寄らして頂いて、終日そこで、丁度、池部先生も幸い、居られましてですね、もうそれこそ、先生の以前の修行の話から、それから、椛目の話から、もう一生懸命に聞かれてですね。もう善導寺の親教会で聞くだけで。
その別に良い事やら、反対の事やらでございましょうけれどもです、もうそれこそ、教祖様の御信心が、そのまま椛目に伝わっておると云う様な事を話したら、非常に感激されて。それから、その息子さんも是非、その先生も是非、あのおかげを頂きたいと云うて居られ、息子さんも是非おかげ頂きたいけれども、どうも、その私は椛目に行ったが最後、私は金光様の先生にならにゃならんのじゃないかと思うて。
それがもう、なんか怖い様な気もするて。やはり、あの宗教家の家に生まれておられますから、自分はどうも宗教家にならなんごたる気ばっかりするけん、椛目に行ったが最後、宗教家、あの金光様ん先生にならんなんじゃないだろうかて云うて、そのまぁ話されたと云う位にです。例えば、考えてご覧なさい、その高橋さんの話といい、彫金師の話といい、その池部さんところの、この関わりあいのその具合いといいですね。
それはもう何ともかんとも云えん働きというものが、椛目の上にあっておると。今日は、これ余談ですけれども、いろいろ話しとるうちに、その友人達も来たが最後もう椛目には帰すまいという、その、あんたがもう仕事に行き詰まってから、金光様の先生にどんなるとじゃろうて云う様な事だったらしいんですよ。けれども、こちらから、その信心の有り難い事、椛目の有り難い事を話させて頂いたら、みんなも感激してですね。
それじゃあんたが、この修行に行ったら、修行の経費は、その私が送ろうと云う人が2人あったち言う、有り難い事ですね、それでも。まあ、広大なおかげを頂いてから、まあ、只今その事のお届けを聞かせて頂いたんですけれども、もうそれこそ目には見えないけれども、目に見えないおかげというものが、様々なところから、様々な形をとってです、こうお働きを頂いておるという事を感じます。
これは、云うなら、明暗で云うなら明の方でしょう。片やの方には暗、いわば片一方が陰なら、片一方が陽と云う様な感じがいたしますけれどもです。いかに、陰陽があっても、これを合体させる働きというものがです、私は無かったならば、良いものは生まれて来ないという事。山口の先生が、私にお届けをされました様にです、梅の実が熟しておる、そこで、私が例えば、今椛目の場合なんかはです。
例えば梅の実が実るとです、ここに必ずこれには紫蘇となじませなければならん。紫蘇と云うのは、例えば字をもじって書くと、死相が現れたと云う様な紫蘇なんです。そういう大事な事なんだ、云うならば。けれども、その例えば実に椛目的でしょう。例えば10日の間に3つの葬式を椛目でお取次ぎさして頂く、しかも、椛目の重要な方達の信心の中の方達がそうなんだという事。
いわば椛目に実った信心の梅の実とその紫蘇とを一つになじませなければならない働きというものを、私は承っておる様な気がするのです。そこに始めて、いわゆる、梅干という物がでけていついつ迄も置いても悪くならない。どんなにご飯がいけんち云うごたる時でも、お粥さんに、梅干でさえありゃご飯がいけると云われるくらいな、いわば、お徳というものがいる。
そこから頂けて来るのである。只、信心辛抱だけが永くでけとるのではない。これが暗だろうか、これが信心しとってどうしてこう言う様な事がって云った様な事柄の中にです。神様の特別な、陰の働きなら陰の働きがあっておると判らせてもろうて、それと、これとを一つにして行けれる信心を頂いておかなければならないかと云う事が判る。そこで、思わせて頂く事。
有り難い事、嬉しい事ばかりが続いたんでは、それは梅はそのまま熟して行くだけだという事。やはり、これが梅干の徳を受けると云う時には、そう言う時なんだ。今朝も私皆さんに申しました。そう云う例えば椛目ではです、徳を受けさして貰う、いやもう徳にこちら信心一つでならして頂けるような状態下に有るのですから、ここんところでお徳を受けて行かなければいけない。
又は、自分の家族の上においても、自分自身の事においても、嬉しい事ばかりじゃない、嬉しい事も、腹の立つ事も、嬉しい事も悲しい事も有るんだけれども、それとこれとが、一つになってです。私は徳というものは頂けれるのだ、生まれて来るのだという事を思うですね。これは、椛目全体の事から云うても。
只今、神様の特別の、成る程働き、神様の働きかけというものがです。そういう風にこう感じさせて頂くと同時に、又は、どうしてこんなに悲しい事ばかり続くであろうかという様な事も続いておるのですけれども、そこんところが有り難く頂けれる事によって、それが、紫蘇の役をする。ここに梅の実が、いわば紫蘇となじんだ梅干の徳という物が頂けれる様に、段々なって来ると、私は思うですね。
どうぞ。